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1991.8.12 桜島SA-須恵PA

奄美大島からの帰り。サークルの車で桜島SAのそばまで送ってもらう。暑い夏の日だった。お盆の入りはじめで車が少なかった。しばらくうろちょろしたあと乗せてくれたのは富山ナンバーの4トン。福岡行き。高校中退してトラック乗ってるお兄ちゃんとその彼女。今思うとよく乗せてくれたなーという気がする。いろいろ食べるものくれた。富山弁がきつかったのですごい愛想なく聞こえたけどよい人たちでした。途中でいくつか大きいサービスエリアによってくれたが、いまいち乗せてくれるトラックがなく、夜遅く須恵PAで下ろしてもらう。


1991.8.12 須恵PA-守山PA

お盆でトラック少ないし、これは野宿か、と思っていたら、川崎ナンバーのおじいちゃんみたいな運転手の人が乗せてくれた。しばらく走って、めかりPAで寝る。気がついたら朝早くトラックは動き出していて、霧が濃くてこのままこのじいさんと天国だったらどうしようとかちょっと考えてしまった。でもおかげですごく早く帰れた。中国道の風景はのどかで美しかった。昼ごろ名神高速でちょっと渋滞。昼には守山で下ろしてもらい、実家へ。


1991.8.24 守山PA-門沢橋駅

この日東京へ戻る。とうとうタメのドライバーに会ってしまう。大宮ナンバー。同じ19歳(当時........)なのに結構フケて見えた。高校に行かずに暴走族やってた人で、パトカーの話や死体の話で盛り上がる。運転はあおりまくるので結構こわかった。すごいいいやつだったが、デコトラの趣味はいまいちわからなかった。


1991.8.27 港北PA-美合PA

この日は何だか車を拾いづらく、とうとう岡崎インターで下りて大府市内へ行く車で手を打った。名古屋ナンバー。何だか真面目そうな人であまり話さなかった。途中すこし寝る。大府から電車に乗ろうかと思ったが、意を決し美合PAで下りる。


1991.8.27 美合PA-千種駅前

美合PAで乗り換え。京都ナンバーのバンに頼んで乗せてもらう。名古屋のサラリーマン風の人。あまり話さなかったが、ヒッチハイカーと聞いて驚いたようだった。名古屋インターで下り、栄方面へ行くとのことで千種駅まで乗せてもらう。


1991.9.2 守山PA-用賀料金所

この日も何だか調子悪く、なにわナンバーの車に頼み込んで乗せてもらった。いつもは機械積んでる車に、その日は紙を積んでいた。もろ大阪人の気のいいおっさんであったと日記には記されているが、どんな人だったかもはや記憶にない。しかし、当時は交通費タダというのがそんなに嬉しかったのか、しきりと地元と東京を往復している。うーん、気持ちは分かるが、今だったらそんな面倒くさいことしないぞ。


1991.9.11 蓮田SA-泉PA

初めての東北道進出。JR宇都宮線で蓮田駅まで行き、そこから東武バス西新宿行きにのって市役所前で下りる。これは本屋の立ち読みで調べた。SA着夜十時。SAに入って二台目の、岩手ナンバー大船渡行きに乗せてもらう。ドライバーはインテリタイプで、野菜の流通事情などについていろいろ教えてもらった。仙台は高速が町を大回りしているのでアクセスが悪く、とりあえず泉PAで下ろしてもらう。この時点で午前二時。仙台市内行きの車に乗り換えた方がよかったかも、とか当時すでに思っていた形跡が見られる。しかし泉PAは何もないところで、仕方なく当時最寄りだった地下鉄八乙女駅まで歩く。方角はだいたいで歩き始め、あとでコンビニで地図を見た。コンビニで時間をつぶそうと立ち読みするが、足がしびれる。四時頃駅に着く。ものすごい荷物をおいて待っている女がいたので、何かと思って話しかけてみたら男の家から夜逃げして秋田の実家に帰る途中だと言っていた。年のころ、多分同じくらい。面白いので仙台駅までついていって話しながら、新幹線に乗るところまで荷物持ちしてつきあう。「親切というのは、している側にも関心とか自己満足とかただ単に面白いとか、何か理由があってやっているのだ」というのがその時得た啓示。「だから、何かお返しをしなければいけないとか、何もお返しできないから親切が受けられないというのは筋違いで、親切とはただ受けておけばいいものなのだ」というのが解釈。


1991.9.14 泉PA-国見SA

この日は深夜に仙台を出て名古屋を目指したらしい。多分、東京−大阪と同じくらいの距離だから同じくらいの時間=朝には着くという読みだったと思うが、今思えば全然カン違い。夜中に友達の来るまで送ってもらい泉PAへ。車が三台しかいなかったので、はじめに声をかけた八戸ナンバー福島行きに乗せてもらう。距離的には短かったが、とりあえず国見SAまで行けば何とかなると踏んで乗せてもらった。おっさんのドライバーは仮眠していて起きたところらしかった。緑色の古い10トン車。


1991.9.14 国見SA-港北PA

ここでも一発目で見つかる。葛西のステーションで下ろして厚木で積む車。宮城ナンバー。眠かったのであまり話さなかったが、結構通じていたと思う。ドライバーは工場の所長さん風の、作業着を着た穏やかな人。台風ですごい雨で、通り過ぎたばかりの区間が通行止めになったりしていた。葛西で下ろす間待って、首都高を抜けて港北PAでおろしてもらう。朝7時頃。


1991.9.14 港北PA-足柄SA

港北PAは朝はホントにダメ。(まあわりと東名・名神はどこでもだけど)積み下ろしに行く車も多いし、しかも土曜日の朝で観光バスが多い。観光客は邪魔だし、バスが居座ってると停まれるトラックも減る.....。しかも15,16と連休でトラック少ない、ということで調子は最悪の一歩手前。乗せてくれたのは高砂市(って兵庫か?)のトラック、でも御殿場ICまでしか行かない。はじめはじゃあいいですって去ったんだけど、あとでドライバーの猫目・やせ型の兄さんに声かけられて、港北調子悪いしってことで乗せてもらう。


1991.9.14 足柄SA-守山PA

足柄SAは広い分停まってるトラックも多いが、歩き回るのがしんどいくらい広い。しばらく回ってダメで、トイレに行って心機一転した後の2発目。大垣行きの関西だったか山陽方面行きのトラックのドライバーは車中、人生とは何たるかについてたっぷり語ってくれた。大変親切だったけどちょっとうるさかったというか何というか。


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