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1.イタリア語とイタリア文学のはじまり

イタリア語は古代ローマ時代に使われていたラテン語と呼ばれる言語の子孫にあたります。ラテン語も後期には、教会などで使われた古典ラテン語と、日常で使われた俗ラテン語に分かれたとされています。古代ローマ崩壊後、西ヨーロッパには今のフランス、ドイツ、イギリス、イタリアの元になる国が誕生し、やがて俗ラテン語がこれらの国々で形を変えるようになります。1番ラテン語の面影が残っていたのはイタリアで、他の国よりも独自の言葉が誕生するまでに時間がかかりました。現在見つかっている1番古いイタリア語は、960年の「カプアの法令」と呼ばれるものの中にあります。

Ille autem (Garipetus), tenens in manum memoratam abbreviaturam et tetigit eam cum alia manu et testificando dixit <Sao ko kelle terre, per kelle fini que ki contene tranta anni le possette paete S(an)c(t)i Benedetti>

下線のところが現在1番古いとされているイタリア語です。ちなみに意味は、「あなたの土地が含まれるその土地は、30年間ベネディクト会が所有しているのを知っています。」 

 

イタリア語の誕生とともにイタリア文学もその歴史を歩み始めます。イタリアの北部では、フランチェスコ派修道会を設立したフランチェスコ・ダッジジらを中心に宗教詩が盛んになります。

  • 主な宗教詩とその詩人
    • Francesco d’Assisi(フランチェスコ・ダッジジ/ 1182-1226)
      •  「Laudes Creaturarum(太陽賛歌)」
    • Jacopone da Todi(ヤコポーネ・ダ・トーディ/ 1230-1306)

       

 一方、南イタリアのシチリア島では、北欧のノルマン人(バイキングと呼ばれています)が南へ下り、両シチリア王国を建国しました。フリードリヒ2世(Federico II/ 1194-1250)の時代に最盛期となり、文学もシチリア派(Scuola Siciliana)と呼ばれる独特の文学が発達しました。シチリア派は、恋愛詩を中心に14行詩(Sonetto)と呼ばれる形を築き上げました。

2.13世紀の文学

13 世紀になり、イタリアへ北からの大きな勢力が押し寄せてきます。これが、神聖ローマ帝国(現在のドイツのあたりの国)です。これにより、イタリアでは神聖ローマ帝国の方へ味方する皇帝派(Gibellini)と、ローマ教皇へ味方する教皇派(Guelfi)の2つに分裂します。結局、教皇派が皇帝派を倒すことになりますが、その後この教皇派が、皇帝との妥協を考える派閥(Bianchi)と、断固とした教皇派(Nero)の2つに分かれます。

この時代の言葉を見てみますと、13世紀頃には大学や教会ではラテン語が、商取引の文章などには俗語(イタリア語)が使われていました。そして、13世紀の末に、初の散文である「小話集(Novellino)」が登場します。これは、 古代から13世紀頃までの偉人、聖人のエピソード約100話を集めた小話集で、北部の人が書いたのではないかと言われていますが、いまだ作者ははっきりしていません。

そしてこの13世紀から14世紀にかけて、イタリアの中部、トスカーナ地方が発展をとげます。この中には後にヨーロッパの文化の中心となるフィレンツェも含まれています。そして、そうした発展の1部を背負った新興富裕層の市民たちの間で、清新体派(Dolce stil novo)が生まれます。高貴な愛(Gentilezza)をテーマに日常語も用いられました。そして、この清新体派から、後にイタリア文学の師とも呼べるダンテ(Dante Alighieri)も登場します。

3.14世紀の文学

トスカーナ地方の発展とともに大都市へと成長したフィレンツェ。ここでルネサンス(文芸復興)と呼ばれる大きな出来事がおきます。ルネサンス文化の先駆者として、13世紀から14世紀にかけてイタリアを代表する3人の詩人が登場します。

 

Dante Alighieri(ダンテ・アリギエーリ/ 1265-1321)

清新体派の1人。俗語(トスカーナ語)で書かれたものも多い彼の作品は、後のイタリア文学に大きな影響を与えます。彼の作品には彼が愛したとされる女性ベアトリーチェ(Beatrice)がしばしば登場します。代表作「Divina Commedia(新曲)」は、地獄篇(導入部+33歌)、煉獄篇(33歌)、天国篇(33歌)の3部からなる大作で、三行詩(Terzina)の形が特徴的。神の秩序といった中世的世界観が随所に見られ、日常語から哲学用語まで使ったその言葉の豊富さは、現在でもイタリア文学の手本とされています。

Francesco Petrarca(フランチェスコ・ペトラルカ/ 1304-1374)

イタリアの詩のスタンダードモデルを作った詩人。彼の古代主義がやがて15世紀になり人文主義へと発展していきます。彼以降、ペトラルカ主義(Petrarchismo)という言葉も登場します。代表作は、366編から成る俗語作品「Canzoniere(カンツォニエーレ)」

Giovanni Boccacio(ジョヴァンニ・ボッカチオ/ 1313-1375)

ダンテ、ペトラルカと並ぶもう1人の詩人。代表作「Decameron(デカメロン/ 十日物語)」は、1348年にペストが流行し、7人の女と3人の男がフィエーソレの山荘へ逃げ込み、そこで彼らはペストがおさまるまでの間1日1話ずつ合計10話、10日間で合計100話を話していくというストーリー。(1日目:題材なし、2日目:戦いの話、3日目:欲望の実現、4日目:不幸な恋 、5日目:幸運な恋、6日目:魂の力、 7日目:妻のからかい、 8日目:笑い話、9日目:題材なし、10日目:寛大な心)

 

4.15世紀の文学

15世紀は、ルネサンス文化の最盛期となります。その中心にあった考え方が人文主義(Umanesimo)です。中世のキリスト教禁欲主義を離れ、人間を尊重しようというこの考え方のもと、Colucci Saluti(コルッチ・サルーティ/ 1331-1406)らを中心にギリシア・ローマ時代の古典研究も数多くなされました。人文主義も、人間中心主義・市民主義といった考え方から、後期になると神と人間の同一視という考え方へ変化します。またこの時期、文化保護政策(Mecenatismo)として各地に図書館も建設されました。

この時代、大パドロン、メディチ家が軸となりフィレンツェはその栄華を極めます。その中心に立ったのが、フィレンツェ、そしてメディチ家の最盛期を築いたLorenzo de' medici(ロレンツォ・デ・メディチ/ 1449-1492)です。豪華王(il Magnifico)とも呼ばれたロレンツォは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどの芸術家などを保護し(文化保護/ Mecenatismo)、また、自身も芸術家として活躍しました。「Canti carnascialeschi(謝肉祭歌)」など、彼の文学作品も残っています。

5.16世紀の文学

 16世紀に入ると、イタリアは諸外国からの侵入を受けることになります。シャルル6世のフランス軍から始まり、1559年にはスペインの支配下におかれることになります。

この時期、宮廷人のあいだで研究されていたのが、言語問題(Questione della lingua)です。言語の地方性を脱却し、統一したイタリア語を作るという宮廷語派と、言語の中心をフィレンツェ語に置くという考え方フィレンツェ語派の間で様々な議論が飛び交いました。

一方、こうした宮廷文学に反した作家もこの時期数多く登場します。ラテン語と俗語を混ぜて使った雅俗混交体(Maccheronea)で風刺詩を書いたFrancesco Benni(フランチェスコ・ベンニ/ 1497-1535)や、Teofilo Folengo(テオフィロ・フォレンゴ/1491-1544)などが中心でした。また、この時期、女流作家も活躍します。Vittotia Colonna(ヴィットーリア・コロンナ/ 1490-1547)は、その代表と言えるでしょう。

6.17世紀の文学

17世紀にヨーロッパで花開いたのが、バロック芸術です。美術の分野が中心で、光と影のコントラストや技法の重視が特徴的でした。その後文学にもバロックが登場します。

17世紀の後半には、アルカディア(Arcadia)運動が起こります。マリーノの作品への反発、古典主義への回帰を目的に1690年にローマで始まったこの動きは、その後18世紀には文芸の指導的役割となります。そして、ここで行われた音楽劇が後のオペラの元となっていきます。

7.18世紀の文学

この頃の知識人の間で広まっていたのが、理性主義(Razionalismo)です。そして、その後ここから啓蒙主義の流れが押し寄せてきます。

  • 主な理性主義の作家
    • Ludovico Antonio Muratori(ルドヴィコ・アントニオ・ムラトーリ1672-1750)
      • 「Rerum italicarum scriptores(イタリア歴史文献集成)」

    • Giambattista Vico(ジャンバッティスタ・ヴィーコ/ 1668-1774)
      • 「De nostri temporis studuorum ratione(我々の時間・空間的理性について)」

この時代、喜劇にも新しい波がおしよせます。Carlo Goldoni(カルロ・ゴルドーニ/ 1707-1793)が、それまでの即興のスタイルの喜劇(Commedia dell' arte)を改革し、「La locandiera(宿屋のおかみ)」、「Il ventaglio(扇子)」といった新しいスタイルの喜劇を作り出しました。

18世紀の後半に入り、イギリスで始まった啓蒙主義(Illuminismo)がフランス、そしてヨーロッパ各地へ広まります。自由(liberta')、平等(uguaglianza)、博愛(fraternita')をキーワードに、イタリアではミラノやナポリで流行しました。ミラノでは「Il caffe'」という機関紙も登場しました。

  • 主な啓蒙主義の作家
    • Giuseppe Parini(ジュセッペ・パリーニ/ 1729-1799)
      • 「Il Giorno(ある1日)」

    • Vittorio Alfieri(ヴィットーリオ・アルフィエーリ/ 1749-1803)
      • 「Del principe e delle lettere(君主と文学について)」
      • 「Saul(サウル)」
      • 「Mirra(ミッラ)」

8.19世紀の文学

18世紀後半に登場したロマン主義(Romanticismo)が、19世紀にはヨーロッパの主流思想になります。人間の理性に焦点を置いた啓蒙思想と対をなし、人間の感情・情緒などを重視したこの思想から、ドイツでは 「疾風怒濤運動(Strum und Drang)」も行われ、ゲーテやシラーなどが登場します。フランスではルソーなども活躍します。イタリアでは独立運動(Risorgimento) にも影響を与えます。

18世紀末から19世紀の始め、ナポレオン時代には新古典主義も起こります。その背景には、ナポレオンによる古典の見直し、当時の考古学上の様々な発見といった要素もありました。